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人生に転機を齎したオーストラリア短期留学!世界を多言語化させたバベルの塔
僕の部屋にはバベルの塔の水彩画が掛けられている。言語が分かれた原因ともいわれるバベルの塔だ。「言語」それは人間がコミュニケーションを図るために不可欠なものである。自分の人生の転機を齎したそのバベルの塔には深い思い入れがある。
高校2年の夏、日本の偏差値教育に苛立ちを感じ、また将来の展望が開けずにいた僕は、オーストラリアへのホームステイ留学を決めた。海外での生活に胸を膨らませ、自ら進んで留学斡旋会社への電話、申し込み、留学の手配、ホームステイ先へのプレゼント、自分を紹介するためのプロフィール写真集までも用意した。ホームステイ先での色んな楽しいイベントを頭に思い浮かべながら、着実に準備を進めていった。
出発の当日、最初から最後まで自分でやりたいという気持ちから、親の反対を押し切り地元の最寄り駅から一人で成田空港に向かった。メルボルンで乗り換え、西オーストラリア、パースに到着した。着いたのはごく一般的なオーストラリアの一軒家であった。新婚の夫婦と2歳の娘が暮らしていた。机とベッドが備え付けられた6疊程のシンプルな部屋に案内された。
家のルールを一通り説明された時から悲劇は始まった。
家にあるトイレットペーパーは使ってはいけない、つまり自分で用意するということ、シャワーは5分以内、冷蔵庫は使用禁止、6時以降は自分の部屋からの外出禁止という過酷なものだった。近くのスーパーで生活用品を買いに行き、机の下にペットボトルの水を蓄えて生活した。会話を弾ませるために英語で色々なことを尋ねるように心掛けた。庭にゴルフクラブが置いてあったのでDo you play golf?と聞くと返事は一言No.であった。Have you been to Japan? の質問も同様にNo.であった。この時、英語を使うことに対し恐怖心を抱いてしまった。夕方になるとホストマザーがキッチンカウンターに夕食を用意してくれる。しかし、それは茹でただけの味がないマカロニだったり、湿気たポテトチップスにマヨネーズといったものであった。立ったまま食べさせられ、我慢して飲み込むしかなかった私を見たホストファミリーが何か嬉しそうな顔で見ていた。食事を終えてThank you.と言ってシンクに戻し食器を洗い部屋に帰ろうとすると、You are naughty.と言われた。その時、naughtyという単語を知らなかった私はどう対応したら良いのか分からずにいた。ただ、それが良い言葉ではないことは分かっていた。その後も決まり文句のように、目が合うたびにYou are naughty.と言われ続けた。ホストファミリーが会話しているのを見ると、私の悪口を言っていることを感じとった。タオルを貸していただけますかと尋ねると、床から足ふきマットを拾い上げ渡される始末。逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。だが多額の留学費を支払った両親には本当のことを伝えられずに3週間が過ぎた。
帰国の3日前の夜に勇気を振り絞り、このまま帰国するわけにはいかないという気持ちで、自分が感じた思いを全て拙い英語で打ち明かした。なぜこんな扱いを受けるのか。生い立ちや留学への思い、自分の家族のことや今までの人生について。笑顔で話せる関係を作るために朝までかかった。日本人に対して偏見を持っていたということを青ざめた顔で打ち明かしてくれた。過去にホストした日本人の態度が気に入らなかったらしい。
残りの3日間は別世界へと一変した。ゴルフをしないと言っていたホストファーザーに朝からゴルフコースに連れて行ってもらい、そのあとは家族でレストランへ外食に行った。パースの観光名所にも連れていってもらった。もちろん家族の車に乗ったもの食事を共にしたのもこの時が初めて。夜は初めてホストファミリーと席に座って食事をした。サラダからステーキまでバイキング方式だった。
帰国の前日、両親から驚いた様子で1本の電話があった。ホストファーザーが僕の両親に対し謝罪のメールを送っていたのだ。海外での楽しい生活を満喫していると思い込んでいた両親はそれを見て驚いたに違いない。
日本人として違った文化、価値観をもった人と異なる言語を使ったコミュニケーションの重要性を伝えていかなければ。成田空港に着いた瞬間まず感じたことだ。海外に出れば、誰もが日本代表、日の丸を背負っているのだ。言語の重要性を教えてくれたこの貴重な体験と言語を分けたと言われるバベルの塔に感謝している。